プロフィール

私のプロフィールに訪問してくださりありがとうございます。

このページでは、私たち夫婦について、先日授かった息子についてまとめています。

私たち夫婦について

私たちは、日本人パパ38歳とフィリピン人ママ23歳の夫婦です。

日本人×フィリピン人の夫婦は全然珍しくありませんが、私たち夫婦は他の方たちとは少し違う出会いから結婚に至りました

夫婦の出会い

日本人×フィリピン人夫婦の多くは、日本国内で知り合ったり、紹介で知り合ったり、出会い系サイト(結婚サイトなど)で知り合う方が多いと思います。

しかし私たちの場合、私の仕事の関係でフィリピンのセブに住んでいる時、現地で嫁と知り合い、連絡先を交換したのがきっかけから交際に発展し、現在に至ります。

年の差15歳と親子レベルの年の差ですが、年の差、文化の違いなどから喧嘩をしながらも交際を続け、2019年・・・嫁と一緒に住んでいた姉夫婦が地元に帰るということで、私の住んでいた部屋に嫁が入り、同棲することに。

そして、2020年に全世界で起きたパンデミックで嫁との結婚を考えるようになっていくのでした。

結婚を決意した経緯

結婚を考え始めた元をたどると、2020年全世界で大流行したあのウイルスの影響です。

感染拡大を防ぐためにフィリピン政府は即ロックダウンを決意し、数日後に強制的にロックダウン。

あまり知られていませんが、フィリピンのロックダウンは世界最長のロックダウンと言われ、強制される行動制限のレベルに違いはあれど・・・半年以上外出制限が強制される地獄の日々を一生忘れません…。

外出許可証というものを持っている人だけが外出することが許され、不要不急の外出はずーっと禁止されて不自由な生活を。

外出許可証とは

外出許可証は大きく分けて2種類あり、

  1. 勤務先が発行する外出許可証 ⇒仕事へ行くためだけの外出許可証
  2. 自治体が発行する外出許可証 ⇒買い出しに行くための外出許可証

ロックダウン中の外出には外出許可証を携帯することが義務付けられ、市内いたるところにある検問所で、人、車の行き来を監視し、全ての通行人が検問されていました。

最も厳しいときは、外出許可証の不携帯で外出すると逮捕を示唆する報道までありました。

スーパーで買い物するのに数時間

セブ市内の中心地に住んでいましたが、みんな同じような状況下で行動制限をかけられているため、現地の人も日用品を買い求めスーパーに来ます。

スーパーの中も密にならないよう客の人数を制限していたため、スーパーの中に入れるまで1時間~2時間、さらにレジで1~2時間待つことなんて当たり前。

フィリピン国内の物流にも大きな影響があったことから、売り切れ商品が続出し、フィリピン国内でも転売ヤーが大儲けしていました。

まぢで死を覚悟したセブ生活

フィリピン国内での情報は統制が全く取れておらず、噂が噂を呼び、大混乱していました。

  1. 感染者は感染者だらけの施設に隔離される
  2. 治療費は数百万円

感染=日本帰国はもちろん不可能になり、フィリピン国内で死亡し、焼かれる・・・なんて噂が飛び交っていて恐怖でしかありませんでした・・・・。

日本に帰りたくても帰れない

さすがに1ヵ月~2か月程度でウイルス騒ぎは収束すると思っていたので、即帰国は決断しなかったのが災いし、フィリピン全土が長期間のロックダウン。

すぐに日本への帰国を決断した方々は問題ありませんでしたが、仕事の関係などで帰国を先送りした人たちの多くは、日本に帰りたくても帰れなくなってしまいました。

そこから数か月のロックダウンに遭い、会社のサポートなしでは生き抜くことは非常に難しかったです。

会社に感謝

コールセンターやIT関係、スーパーやドラッグストアなどの一部業種はロックダウン下でも条件付きで業務を続けることができていました。

職場もロックダウンで大混乱していたため帰国を先延ばしにしたのですが、かなり強めの外出制限がかけられたことで・・・自力でスーパーに行くことが難しくなり、買い出しもなかなかできない飲料水を確保することもできない。

全社員を対象に『事前に予約をすれば社用車で買い物に連れてってくれる。』が全社員非常に助かりました。

一生に一度あるか無いかの環境

市内の通りは毎日大渋滞、朝から夜中まで人が歩いているほど賑やかなセブ市の中心地に住んでいましたが、ロックダウンを境に街中から人、車がいなくなりました。

住んでいる場所から見える検問所には、ライフル銃をもった迷彩服の軍人さん達が監視の目を光らせていました。

ゾンビ映画などに出てくるような風景とイメージしてもらえば分かりやすいと思います。

こんな地獄のような環境を一緒に生き抜ければ、結婚を考えるようになってもおかしくありませんよね。

やっと日本へ帰国

ロックダウンから約1年後にようやく日本へ帰国できる可能性が見えてきました。

私が帰国を決めたのは2021年6月、フィリピン航空、フィリピン政府の情報すべてが曖昧でトラブル続きだったので帰国情報が集まってから帰国便を決定しました。

帰国情報が見られるようになってきたとはいえ、フライトキャンセル、フライト変更は毎日のように連発していたので、フィリピンを出国できるまで安心できませんでした。

結婚のためにフィリピンへ再入国

フィリピンからの出国は2021年上旬に緩和されてきていましたが、入国の緩和は全然されず、2022年2月になりやっと緩和されました。

しかし、フィリピンの入国管理は引くほどにずさんなので、トラブルを回避するため入国実績の情報を集めてから入国時期を見定めていました。

4月上旬にフィリピンへ入国し、フィリピン現地で結婚の準備を始めました。

結婚の手続きで約2か月

手続きから結婚式が終わるまで、さすがにこんなにかかると思っていませんでした。

必要書類の収集、提出に6週間、結婚式の実施まで2週間とほとんど書類の収集に時間を要しました。

事前に必要な種類を調べてからフィリピン入国しましたが、必要書類の発行機関がバラバラであっち行ったり、こっち行ったり。

婚姻証明書の発行まで1ヵ月

結婚が済んだからといって日本に連れてくる手続きが難しそうだったため、フィリピン国内で婚姻証明書が発行するまで待つため、私は一度日本へ帰国しました。

嫁が日本に来る

たとえ配偶者であっても、必要書類、必要な手続きを全て済ませなければ、フィリピンの出国、日本の入国は許可されません。

日本への入国ビザが取得できたとしても、フィリピンの出国が許可されない。なんてこと普通に起こりうることで、全てはフィリピンの出入国管理局次第。

出国できないなんてことになると全てが水の泡なので、全ての書類を限りなく完璧に必要機関に確認をとり万全の状態にしてから日本入国の予定を決め、無事日本へ配偶者として短期滞在ビザで入国できました。

妊娠

2022年10月上旬、嫁が無事に日本入国することができ、入国してすぐ妊娠しました。

フィリピンにいる頃は全く妊娠しませんでしたが、日本に来てからすぐに妊娠って不思議です。笑

息子の誕生

2023年7月13日、待望の息子が誕生しました。

日本人×フィリピン人のハーフの事を現地では、ジャパニーズ×フィリピーノを略してジャピーノと呼ばれています。

出産予定日の7月12日からほとんど遅れることなく、母子ともに問題なく出産がすみました。

ナカテツファミリー

私たち夫婦の出会いから息子の誕生まで、こんな感じでいろいろな苦労を乗り越えてきました。

これからは家族での時間を大切にして、息子に不自由のない生活が送れるように頑張っていきます。